Prologue

自動運転やコネクテッドカーに代表されるように、自動車は急速な高機能化・高性能化が進み、100年に一度とも言われる大転換期の中にいる。その根幹を支えるのが、実際に機器を制御する車載ソフトウェアだ。車載ソフトウェアはハードウェアと密接に絡んでおり、その開発は年々大規模化かつ複雑化してきた。この課題を解決すべく、欧州の自動車メーカーを中心に作成されたのが、車載ソフトウェアの標準規格AUTOSAR(Automotive Open System Architecture)である。

AUTOSAR対応への遅れは、今後の自動車開発に遅れを取ることを意味する。だが、既存製品のAUTOSAR対応には大規模な開発を必要とする。このジレンマを断ち切ったのが、ミネベアミツミとユーシンの経営統合後にスタートした、量産製品のAUTOSAR対応プロジェクト。それは「オールミネベアミツミ」の力を結集したプロジェクトだった。

Profile

山尾 章司2002年入社 理工学部 電気電子工学科卒

株式会社ユーシン 技術開発部門 技術開発部 兼 ミネベアミツミ株式会社IoT事業開発部 オートモーティブ開発セクション。AUTOSAR対応プロジェクトの責任者として、チームの体制構築や、全体のマネジメントを担う。

香川 順平2009年入社 理工学部 電気電子工学科卒

株式会社ユーシン 技術開発部門 技術開発部ソフトウェア開発課。仕様の調査からAUTOSARに携わり、開発リーダーとして各チームのAUTOSAR対応をけん引。

小林 明洋2020年入社 情報システム学部・情報システム学科卒

ミネベアミツミ株式会社 IoT事業開発部 オートモーティブ開発セクション。中途採用に入社し、AUTOSAR対応プロジェクトに参加。主にOSの開発を担当する。

Chapter 1

車載ソフトウェア開発を効率化する
標準規格「AUTOSAR」への対応

2020年4月。ドイツ駐在から帰国した山尾は、がらんとしたオフィスにいた。

新型コロナウイルスの感染拡大により、社員が在宅勤務を余儀なくされていたこともある。だが、そもそも山尾がこれから立ち上げる部署は、山尾以外のメンバーが決まっていなかった。部署のエリアには、山尾1人の机しかない。まずは仲間が必要だ。山尾は社内でAUTOSARの知見を持つ人材を探し始めた。

AUTOSARとは、車載ソフトウェアの標準規格だ。1台の自動車には多くのECU( 電子制御ユニット)が搭載されており、様々な機能や装置を電子制御している。各ECUはハードウェアと車載ソフトウェアによって構成されているが、従来の車載ソフトウェアはハードウェアとほぼ1対1で対応するものとして開発されており、汎用性に乏しかった。自動車メーカーが変わればソフトウェアの改修が必要になるうえ、同じ自動車メーカーの別車種だとしても、そのままソフトウェアを再利用できるとは限らなかった。

車載ソフトウェアの再利用を可能にし、開発効率を高めるために、欧州の自動車メーカーを中心に策定された規格がAUTOSARだ。イメージとしては、PCのOSに近い。PCは、どのメーカーのCPUやメモリであっても、同じアプリケーションが動作する。これはOSがハードウェアによる違いを吸収しているためだ。同様に、AUTOSARに準拠した車載ソフトウェアであれば、ハードウェアによる違いを吸収できるため、ソフトウェアの再利用が可能になる。

「私は所属する株式会社ユーシンにも、2010年代からAUTOSAR導入の声が聞こえていました。ですが、AUTOSAR対応は過去の知見が通用せず、ゼロからの新規開発には多額の投資が必要になります。一度開発すれば楽になるが、なかなか踏み出せない、という状態が長く続いていたのです」(山尾)

Chapter 2

人事異動、中途採用、海外人材の起用。
知見を持つ人材を集めた半年間

契機になったのは2019年、ミネベアミツミとユーシンの経営統合だった。東京で先行開発を専門にする部署を新たに設けることになり、最初のミッションとして量産製品のAUTOSAR対応が掲げられたのだ。その責任者として白羽の矢が立ったのが、ドイツで車載部品の設計開発をリードしていた山尾だった。

山尾自身にはAUTOSARの経験はなかった。そこで山尾は、ミネベアミツミやユーシンにAUTOSARの知見を持つ人材がいないか、各部署に隈なく当たった。最初に見つかったのはユーシン・インディアのエンジニア、ビネイ。インドでR&D関連の組織を率いるリーダーであり、山尾からのオファーには二つ返事で応じた。ビネイには現地で人を集めてもらい、20名近くからなる“インドチーム”が始動した。

6月にビネイがアサインされたあと、7月にはユーシンの広島工場で量産開発に携わっていた香川に声がかかる。香川は通常の業務のかたわら、自社製品をAUTOSARに対応させるべく調査を進めていたのだ。「東京で一緒にやりませんか」という山尾からの誘いを受けて、香川は東京への異動を了承する。

社内の人材を探すのと同時に、山尾は中途採用も積極的に進めた。10月までに4人を採用し、その中の1人が愛知でエンジンのECU開発に携わっていた小林だった。プロジェクト開始から約半年で、5人のメンバー&インドチームという体制が組めたことに、山尾は「奇跡的なバランスだった」と振り返る。

「中途採用はご縁もありますし、どんな人材が集まるか未知数の部分もありました。ふたを開けてみれば、月に1人ペースで採用が進んだうえに、それぞれの専門分野もハードウェア寄りからソフトウェア寄りまで分散していた。まさに奇跡的なバランスだったのです。採用に尽力いただいた人事には感謝しています」(山尾)

Chapter 3

開発に向けた足固めを行うなか、
外部ベンダーで起きた想定外の事態

メンバーは集まったが、全員がAUTOSARに明るいわけではない。AUTOSAR対応の製品を量産開発できるまで技術レベルを引き上げるには、まだ時間が必要だった。そこで、最初の2年間は「トライアル」という位置づけにし、AUTOSAR対応の一連の工程を経験するところから始めることにした。ターゲットとなる製品は、既に取引のある自動車メーカーの車種から、バックドア開閉を制御するECUに決めた。

AUTOSARの仕様書は2万ページ以上あり、1社ですべてを読み解くのは容易ではない。調査の結果、AUTOSAR対応にはBSW(Basic Software)ベンダーから開発用ツールを購入し、自社製品向けに調整を行うのが一般的だと分かった。BSWベンダーは複数あり、最適なBSWを選ぶために情報収集を続ける一方で、ある問題も持ち上がった。

「量産品に使用していたマイコンは、そのままではBSWに対応できないことが分かったのです。そこで、マイコンを上位グレードのものに乗せ替え、基板を作り直すことにしました。ユーシン広島工場で量産設計を担当するハードウェアエンジニアに回路設計を依頼し、並行してBSWの選定を進めました」(香川)

新たな基板の設計・製造は3ヵ月ほどで完了し、開発ツールはBSWベンターから購入することにした。2020年9月にはツールを発注し、11月から開発に取りかかる予定だったが、想定外の事態が起こる。BSWベンダーからツールが送られてこないのだ。

「ツールを発注する際、『この基板で動作するものがほしい』という形で、BSWベンダーには我々の基板を送っていました。BSWベンダーでは動作保証のため、基板上でAUTOSARのソフトが動くかどうかを検証していたのですが、これに思いのほか時間がかかってしまったのです」(山尾)

結論から言うと、彼らの元にツールが届いたのは、翌2021年の2月。予定よりも3ヵ月も後だった。だが、指をくわえて待っているわけにはいかない。この間に、メンバーたちはAUTOSAR関連のセミナーを受講するなどして、知識を高めることを忘れなかった。

Chapter 4

AUTOSAR対応が本格的に始動。
チーム内で連携して開発を進める

こうして、2021年にAUTOSAR対応は本格的に始動した。香川は開発リーダーとして、メンバーたちに仕事を割り振っていった。

「AUTOSARにはOSやメモリ、通信など複数のモジュールに分かれています。プラモデルのように、いくつものパーツを組み合わせて形を作るイメージです。個々のモジュールには、自社製品用に開発が必要なものがあり、メンバーが得意な領域にマッチするように担当モジュールを振り分けていきました。未知のことも多く、AUTOSARの仕様を調べながらの対応でしたね」(香川)

小林が担当したのは、OSのモジュールだった。初めてのAUTOSAR対応は、ツールの使い方を理解するところから始まったという。これまでのソフトウェア開発では、手でコードを打つことが多かったが、AUTOSAR対応のツールはグラフィカルなインターフェイス上で設定を行い、最終的にコードが書き出されるタイプのものだった。

「自分でコードを書くわけではないので、どのように設定すれば狙い通りのコードが書き出されるのか、そのつながりを理解するのに苦労しました。また、中途採用ということもあり、AUTOSARだけでなく既存製品自体の理解も同時に深めなければなりませんでした」(小林)

さらに、香川はインドチームにも作業を依頼した。コミュニケーションは基本的に英語で行ったが、当初は意図が誤って伝わり、想定と異なる成果物が納められることもあった。香川は手順やノウハウを英語でドキュメント化したり、オンライン会議を密に開催したりなどして、インドチームとの協力体制を築いていった。

こうして開発は順調に進み、トライアルが折り返し地点を過ぎたころには、モーターを回転させるといった動作を再現できるまでになっていた。だが、プロジェクトは急展開を迎える。2021年5月、顧客である自動車メーカーから、山尾のもとに新製品発注の打診があったのだ。それは、開発中の新しい車両にAUTOSAR対応の製品を搭載したいという話だった。

Chapter 5

トライアル中での製品受注。
3つのプロジェクトを同時並行して対応

AUTOSAR対応はまだトライアルの段階で、実装していない機能もある。だが山尾は「断る選択肢はなかった」と話す。一度打診を断ってしまえば、お客様に「ユーシンはAUTOSARに対応できない」という印象を残してしまう。チャレンジではあったが、山尾はゴーサインを出す決断をした。

受注したECUは、バックドアが1種類、ヒーターコントロールが2種類の、計3種類。AUTOSARに未習熟のメンバーもいるなか、3つのプロジェクトを遅延なく、品質を保った状態で進めなければならない。山尾は「リードプロジェクト」を1つ決め、そこで得たノウハウを残りのプロジェクトに“伝授”するように体制を整えた。

「リードプロジェクトには日本人メンバーを固め、AUTOSAR経験が豊富なパートナー企業の力も借りながら、品質が担保された成果物を作ります。残りのプロジェクトはインドのメンバーを中心に構成し、リードプロジェクトで作成した成果物をベースに開発するのです。インドチームには、モジュールごとに日本との窓口となるカウンターパートを1人決め、成果物のやりとりやレビューを通じて、品質を保てるように進めました」(山尾)

また、インドから日本にメンバーを1人呼び、インドチームと協力する際の橋渡し役になってもらった。3つのプロジェクトが同時並行で進むため、円滑なコミュニケーションは欠かせない。コロナ禍でリモートワークを強いられる状況のなか、オンライン会議やチャットツールを活用して、やりとりを円滑に進めていった。

この作戦が功を奏し、AUTOSAR対応は無事に終盤を迎える。だがそのころ、ユーシン広島工場が担当していたアプリケーション開発では、テスト工程で少なからぬ問題が発生していた。このままでは、製品全体の遅延につながりかねない。仲間を助けるため、AUTOSAR対応チームは広島へ飛んだ。

「約3ヶ月間、メンバーで交代しながら広島へ長期滞在していました。東京からもオンラインでコミュニケーションは図れますが、やはりそれだけでは課題の本質までは見えてきません。実際に対面で話し合うことで、東京・広島・インドのメンバーたちが一体感を持って課題に対応できたと感じます」(小林)

Chapter 6

「オールミネベアミツミ」でつかんだ成功。
100年に一度の大転換期に追従するために

こうして2021年夏からスタートした3つのプロジェクトは、1年以上の開発期間を経て、滞りなく完了した。製品を搭載した車両は、2023年春以降の発売を予定。ユーシン、そしてミネベアミツミで初となる、AUTOSAR対応製品だ。

香川と小林は今回のプロジェクトを通じて、エンジニアとしての成長を感じていた。

「前職では、既に社内でノウハウが確立された環境で開発を行っていたので、AUTOSARの知見を全員で吸収しながらのソフトウェア開発は新鮮な経験でした。セミナー受講や有識者への問合せなどを通じて、自ら課題を乗り越える力を身に付けられたように思います」(小林)

「100年に1度の大転換期と言われる自動車業界において、車載ソフトウェアのプラットフォームとなるAUTOSARへの対応は避けて通れません。今回、ゼロからAUTOSAR導入に携われたことで、この大転換期に追従できる技術を蓄えられたと感じます。今後この経験を生かして、会社により貢献できればと考えています」(香川)

山尾は今回のプロジェクトを成功に導けた要因を、「オールミネベアミツミ」という言葉で表現する。

「新規立ち上げの状態から、ユーシンの人材、中途採用、そしてインドR&Dを含めた大きな組織へと成長できたことに、嬉しさを感じています。もちろん、初めて一緒に働くメンバー同士でしたから、ぶつかりあうこともありました。しかしその都度、それぞれの意思を尊重しながら、粘り強く調整を重ねて乗り越えてきた。チームが一丸となり、『オールミネベアミツミ』で取り組めたことが、今回の成功につながったのだと考えています」(山尾)

自動車業界の今後を担う技術として、また、ミネベアミツミが新製品を生み出すための要素技術として、AUTOSARは今後ますますその存在感を増すだろう。あの日、がらんとしていたオフィスは今、多くの仲間たちが未来を築く場所となっている。

(※登場する社員は仮名です)

ページの先頭へ戻る

Follow Us

Twitter Youtube